29.希望の物語

エッセイ『希望の物語』の画像

 間もなく4月を迎えようとする今日。里にはすでに、春を告げる色とりどりの花が咲きはじめた。しかし、冬の様相を今なお色濃くとどめるこの山あいに春が訪れるのは、まだしばらく先のことだろう。冬と春のはざまをためらうように行きつ戻りつしながらゆっくりと、しかし確実に、季節は時を刻んでゆく。この美しい朝の光景の中で、ぼくはあるひとつの確信を味わっていた。
 

あらゆるものは循環している。

 前日降りそそいだ暖かい雨と夜半からの濃霧が、明け方の急激な冷え込みの中で生み出した、幻想的な世界。森の梢一面に舞い降りた氷の結晶が、純度の高い朝の光の中で輝いている。それは地球という空間的キャンバスの上に描き出された、光と水と気温による壮大なコラボレーション。やがて氷の結晶は解き放たれて、再び空に戻ってゆくことだろう。循環とはまさに、大自然の呼吸そのものなのだ。自然と対峙しその息吹にふれるとき、ぼくはいつも叫び出したい衝動に駆られる。今感じていることを誰かと分かち合いたい。誰かに共感してほしいと。そして祈りを込めてシャッターを切る。写真を通して伝えたいのはぼくの想いではなく、自然の語る生命のメッセージなのだ。


 岩にぶつかり、瀬を白く泡立たせながら谷あいの川を嬉々として流れ下ってゆく、一滴一滴の水のよろこびの歌が、あなたにも聴こえてくるだろうか。雪解けの土から立ちのぼる希望にあふれた甘い香りは、あなたの胸にも満ちてきただろうか。地球を包み込む雄大な、しかし、もろく繊細な空の青さに込められた平和への祈りは、あなたのこころに届くだろうか。


 大自然の息吹の前に、人の存在はあまりにも小さく無力であるかもしれない。しかし、一枚の画像として紙に定着された自然の断片は、撮影者の思惑をはるかに超えた意思をもって、自ら生命の物語を語りはじめることを、ぼくは知っている。地球は、宇宙という無限の深みをおびた書庫に収められた、青色に輝く一冊の本。それは息を飲むほどに美しい無数の物語。ぼくたちは緻密に織り上げられ結び合わされた、それぞれの生命の物語の中に生きている。あらゆる生命は、時空を超えて地球の息吹を分かち合う家族なのだ。

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