4.ふたり

エッセイ_ふたりの画像

 清里聖ヨハネ保育園に通う息子の送迎の後にちょっとだけ森を散歩するのが、当時の日課となっていた。僕にとってこの時間は、何か新しいことに気づくとても大切な時間だったのだ。


 この日、僕は道脇の草むらに咲いているアカツメクサに出会った。明治初期に牧草として渡来したこの植物は今では日本のどこでも普通に見られる草だが、実はこれがなかなか美しい。思わず無意識に「きれいだね、君たち」と声をかけてしまった。


 身の丈せいぜい30センチ程のアカツメクサ。この花を同じ目線で見ようとしたなら、大人にとってはかなりつらい姿勢を強いられることになる。えい、ままよと、思いきって草むらにうずくまってみた。するとそこにはいつもと全く違った視界が広がっていた。朝露で身を飾り、まるでフィールドバレエの野外ステージに立つパートナーのように寄り添って立つ二つの薄桃色の花が、緑の光の中に浮かび上がっているのだ。踊り手の一瞬の息遣いすら聞こえてきそうな気が….。


 「うーん。視点を変えるって、すごいことなんだな」と、思わず独り言。朝露に濡れたズボンは冷たかったが、感動はその冷たさを補って、はるかに余りあるものだった。


 大人になってから、素直に感動する機会が少なくなったような気がする。その理由の一つは、視点の変化にあるのかもしれない。子どもは理性よりも感性で物事を体験しようとする。あえて視点を下げて見ることは子どもの視点に戻ること、つまり自分が今まで積み上げてきた観念とか体裁といったものを一旦すべて投げ出して、裸の心で物事に触れる試みなのだろう。そうすれば僕たちは子どもの時に体験していた、あのわくわくするような感動の世界を、再び取り戻すことができるのではないだろうか。


 「あんちゃん。どうしたでぇ?」
 でも、たまに、こんな感じで散歩のおじいさんに心配そうに上からのぞき込まれて、照れ笑いするなんてことも、ないわけではないのだが….。 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次