5.樹と語った日

エッセイ_樹と語った日の画像

 大泉村1を東西に走る泉ラインのすぐ脇に、八右衛門湧水という湧き水がある。その傍らにひっそりとたたずむ大きなケヤキの樹が僕は大好きで、時々無性にこの樹に会いたくてたまらなくなる。この樹に触れていると、とても優しい気持ちになれるのだ。苔に覆われた鎧のように固い木肌は、強さの中に暖かさをも合わせ持っていることを、僕は知っている。


 ある時、僕はその大きな幹に背中をあずけて、静かに問いかけてみた。「あなたは一体どれだけたくさんの冬を越して、今日まで生きて来たのですか」と。


 見上げれば、まるで夜空の星のようにちりばめられた無数の葉が、思い思いの緑色に輝きながら、空を覆い尽くしていた。その時、あずけた背中を通して樹の想いが心に染みて来るのを感じた。静かな波のように優しく。それは生きとし生けるすべての生命ヘの深い慈愛と共感。すべての生命は同じ大きな根源的生命から生まれ、あらゆるものがその根源的生命の断片を分かち合っているという記憶。永遠の時の流れの中でいつしか心は溶け合い一つになり、僕は樹になり、樹は僕になった。


 樹は歌い、樹は語る。樹は悦び、樹は憂う。樹は慈しみ、樹は育む。樹は叫び、樹は静かにささやく。
 「人とは何者か。なぜ争い、なぜ愛せないのか。」
 

 この宇宙は、気の遠くなるような数えきれない生命の糸が織り合わさってできている一枚の布のようなもの。全体が一つの生命であり、すべての生命は大きな生命の中の一部。 そう。あらゆる生命は家族なのだ。
 

 幹の中を吸い上げられてゆく、かすかな水の音を聴いた。それはこの世における僕の生涯の一日が始まるずっと以前に、母の中で聴いていた、懐かしい鼓動の記憶。深い優しさと愛おしさに包まれて、僕は、いつまでもそこを動くことができなかった。


  1. 大泉村はこのエッセイを執筆していた当時の状況で、現在は北杜市大泉町となっています。 ↩︎
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