8.最初の秋を感じた日

エッセイ_最初の秋を感じた日の画像

 9月の空は何と繊細な表情に満ちた空なのだろう。盛夏のあの焼けつくような陽射しがいつしか衰え、熱気の中にハッとするような涼風が混じるようになると、よどんでいた空の色は少しずつ、蒼さと純度を取り戻しはじめる。暑さが苦手なぼくは、毎年この小さな変化を空に感じると、小躍りしたい衝動に駆られるのだ。


 そういえば小さいころからよく空を見上げていた。山の稜線に沿って生まれた幼雲が、旅をしながら生き物のように思い思いにその姿を変え、やがて空の彼方に消えてゆく。その行く先にはきっと明日の世界があるのだと信じていた幼いあのころ。無性に空を飛びたかった。ただ雲を眺めているのが面白くて、暗くなって母親に『いいかげんに降りてきなさい』と呼ばれるまで屋根の上に寝ころんでいたこともあった。子どものころ、時間はゆっくりと流れていた。そして何より、時間は友だちだった。大人になるとぼくたちはなぜ、時間に追われるようになってしまうのだろう。


 ちょうど一昨年の9月1日の朝、ぼくはファームショップの裏手に広がる牧草地の片隅に立って八ケ岳連峰を見つめていた。山肌にはまだ夏の様相が色濃く残ってはいるけれど、深みを増しはじめた空にはすでに無数のアキアカネが舞っている。かすかな涼風を体に受けながら、この年最初の秋を、ぼくは感じていた。


 赤岳の上空を越えて高く上昇してゆく雲は、次第に薄くなりながら空いっぱいに広がり、やがて蒼の中に帰ってゆく。白い雲と蒼い空。本質は同じものなのだ。久しぶりに時を忘れてこの流れる雲を見つめた。幼かったあの頃のぼくが、そこにいた。


 世の中がどのように移ろいゆこうとも、季節は必ず巡り続けることだろう。悠久の時の流れの中で、いつの時代も人は空を見上げ何かを感じてきたように、未来の子どもたちがこの場所で、同じこの9月の空を見上げることがあるかもしれない。その時彼らの心を満たすものが平和とよろこびであるよう、心から望みたい。

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