3.月の入り

エッセイ_月の入りの画像

 青空に浮かぶ昼の月を見るのが好きだ。夜明けとともに力を失って空の中に透けてしまいそうな月を見る時、僕はこの青一色で塗りつぶされた空間のむこうに、宇宙の存在を感じる。すると平面的に見えていた空が、にわかに立体的な深みを帯びて迫ってくるのだ。この日清里の清泉寮ブリッジショップで、久しぶりに会った友人の岳明と話していた。

 「赤い橋」という愛称で親しまれる東沢大橋のすぐ先にあるこの店は、四季を通じて川俣渓谷が見渡せる絶好の展望ポイントに建つ。

 大きな窓越しに何気なく山を見る。青空に浮かぶ月が、権現岳から伸びる稜線の向こうに今まさに沈もうとしているところだった。ただ、その沈む速さが尋常ではないように感じた。
思わず手にしていたコーヒーカップをカメラに持ち替えて外に走り出る。ファインダーの中で、かげろうにゆらぐ月が本当に「ゴォーッ」と音がしているのではないかと錯覚するほどの勢いで、稜線の向こうに吸い込まれていく。「うわぁ。月が、月が」と声を上げながら、僕は夢中でシャッターを押していた。ほんの十秒たらずの出来事だったのかもしれない。

 我に返った僕は、思わず真顔で岳明に聞いた。「ねえ。月が沈むってことは、地球が回転して行くから見えなくなるということだよね。」ということは、今感じたあの凄まじい速さというのは、自分が乗っている地球が回っているスピードそのものを実感したということなのか。

 空にぽつんと浮かんでいる月をいくら眺めていても、地球の自転をこれほどまでに感じることはないだろう。しかし偶然山の稜線と重ねるように月を見た時、そのスピードが実はとてつもないものであることを知った。もちろん地球の自転など意識しなくても生活に支障はないかも知れないが、地球と月の誕生以来休むことなく続いてきたこの営みをこんなに衝撃的に感じられたことは、僕にとって大きな収穫だったと思うのだ。

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