6.夏の日の記憶

エッセイ_夏の日の記憶の画像

「クレア、川に行こうか。」 僕は彼女を散歩に誘った。彼女といってもクレアは6月に我が家にやってきたばかりの、まだやんちゃ盛りの黒ラブなのだが。


 廻り目平は金峰山への登山口としても知られるが、浅くてきれいな川は子どもの水遊びにも最適だ。この日我が家も、いつもの仲良し家族と一緒に一泊で水遊びキャンプに来ているのだ。ママと遊んでいるチビ達を横目に見ながら、僕はクレアと上流へと遡りはじめた。木漏れ日が、明るい川底に複雑な光のしま模様を描き出し、小石を転がしながらコロコロと歌うように浅瀬を流れていく澄んだ水の音が、そのまま体に溶け込んでくるように心地よい。


 ふと僕はある光景に釘付けになった。先を行くクレアが振り向いて僕を見つめる。いや、とりたてて珍しい光景ではないのだ。僕がそこに見たのは、白い斑入りの湿った岩に苔が生え、その上にカラマツの枯れ葉と白樺の若葉が一枚…。どういう過程でできたにせよこの岩は少なくとも今、生きてはいない。

 しかしその表面には生命が宿っている。無数の冬を重ね、岩は風化し砂が生まれる。そこに水が加われば微生物の住む環境が整い、やがて有機物を含んだこのわずかな砂礫に苔が生じ、そこに白樺の葉が、舞い落ちてきたというわけだ。すると、10センチ四方にも満たないこの空間には、気の遠くなるような時間をかけた生命の記憶が凝縮していることになる。

 生と死のプロセス。断絶しているかのように思えるこの両者の間には、しかし、確かな連続がある。でも、生命の境とは一体どこに…。
 

 ベロン 「うわっ」

 突然顔をなめられ我に返れば、ずぶ濡れになったクレアの円らな瞳が目の前で笑っていた。まるで、そんな難しいこと考えてないで水遊びしようよとでも言うように。犬にも笑顔があるのだ。


 「アハハ、ごめんよ」と言いながら、僕はお返しにクレアの顔にたっぷり水を浴びせた。あとはもう大変。彼女も僕もずぶ濡れになったのは言うまでもない。そして気がつけば、あっ、カメラも….。

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