2.麦穂の海の帆掛船

エッセイ_麦穂の海の帆掛船の画像

 5月のある日のこと。七里岩ラインを抜けて韮崎へと向かう道の途中、いつものお気に入りの麦畑の横を通りがかった。刈り入れを間近に控えた麦の穂波が、もうすでにうっすらと色づき始めている。田んぼが主流のこの地域。麦畑はそう多くないので、麦の穂の独特のさわやかさが大好きな僕はついついここに車を止めて、見入ってしまうのだ。

 新緑の風に吹かれてザワザワと、波のように寄せては返す麦穂の大海原を眺めていると、潮の香りこそしないけれども、なんだか本当に海を見ているような気持ちになる。そんな麦穂の海の沖合いに、小さな帆掛け船が一艘、ぽっかりと浮かんでいるのが目に入った。
 

 あれ、カラスノエンドウかな。ちっぽけな体に似合わずひょうひょうとしていて、おまけに薄赤紫の花まで咲かせて自らの存在を精一杯主張しているあの草。じっと見つめていたら、あんなに小さいのに、どんどん大きく見えてくるから不思議。あっぱれって言葉は、こんな時に使ったらぴったりなんだろうな、なんて感心しながら、あまりにもその様子がほほ笑ましいので、思わずカメラを向けてしまった。 

 どうしてこの光景にこんなに心魅かれたのだろうか。いや、本当は分かっているのだ。たとえ一人ぼっちでも凛として胸を張り自分らしさを保ち続ける姿に、ちょっと憧れてしまったことを。

 ふいに風が途切れ、傾きかけた午後の陽射しが逆光気味に麦畑を照らし出した瞬間、麦穂の海全体が淡い緑がかった金色の光に包まれ、時が止まった。
 望遠レンズで切り取ったその一瞬。僕は、その憧れの気持ちをこの一枚の写真の中にはたしてどこまで映しこめただろうか….。

 この日以来、麦畑を見るたびに、無意識にこの畑の英雄を探すのが、癖になってしまったようだ。もっとも麦畑のご主人にして見れば、カラスノエンドウは英雄どころか、敬遠すべき宿敵であるに違いないのだろうが..

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