久しぶりに群馬の実家に帰った。標高1,200mに位置する草津町。その高台に建つ実家周辺で日常的に起こる出来事は、さすがに低地のそれとは趣が異なる。たとえば、すぐ裏の谷にはクマザサが群生していて、それをかき分けてカモシカが頻繁に上ってくるのだ。
「そうねえ。何日か前の霧の日にも、裏の谷から若いのが一頭上って来て、お隣のイチイの生け垣とウチの畑の花豆の葉っぱを食べて行ったわよ。窓からじっとにらんでやったら、細い木の枝の後ろに回ってこっちを見ているのね。あれはきっと隠れているつもりなのよ。丸見えなのにね。」と、母が笑いながら言った。
病身の母は、窓辺のソファに座って庭を見るのが楽しみなのだ。ポアロとかいう名の、トマトをかじる近所の猫もいるとか。高冷地では猫も菜食主義なのかもしれない。まさかそんな…。
冗談はさておき、ぼくはこの1,200mオーバーという標高がたまらなく好きだ。物の見え方が下界とはまるで違う。とにかく鮮やかなのだ。空気の純度が高いせいなのかもしれない。
母の親しい友人でお隣に住む長峰おばちゃんは花作りが大好きで、毎年丹精込めてお花を育てているが、今年のおばちゃんの庭はキバナコスモスが咲き乱れている。ぼくの好きな花の一つだ。
「おばちゃん、ちょっと入るね」。
心でつぶやきながら庭の片隅にお邪魔し、花に埋もれるようにして300mmレンズを向ける。
オレンジ色の光のジュースの中に力強い花の輪郭と、薄緑色のしなやかな茎が浮かび上がった。植物というにはあまりにも動的なインパクトに圧倒されながら、シャッターを切る。しかし平地で見るこの花、こんなに情熱的なコントラスト持っていたかなあ。
高原の四季は圧縮されて進む。八月の半ばではあるが、そこには既に秋の気配が同居しているのだ。これから季節は冬に向けて加速度的に移ろい行くことだろう。その歩みに抗うかのように高地で精いっぱい生きる生命の輝きが、より鮮やかさを際立たせる本当の理由なのかもしれない。
今度実家に帰る時は、大好きなこの作品をおばちゃんにプレゼントしよう。喜んでくれるとうれしいな。