10.こころの手紙

エッセイ_こころの手紙の画像

「あのぉ、これは絵ですか、それとも写真ですか?」


 個展で作品にしばらく見入っていた方が遠慮がちに尋ねてきた。
 ぼくは写真を印画紙ではなく、表面に細かい凹凸を持つ画材紙をベースにしたモローという紙にプリントしている。PCM竹尾という紙の老舗が制作しているこの紙には光沢印画紙特有の平面性やシャープさとは違った味わいがある。
色の深みや動物の毛並みの質感、そして見えない空気の存在感までも描き出してくれるこの紙は、ぼくにとって作品づくりに欠かせない大切な素材だ。


 「まるで水彩画みたいですね」
 「はい。カメラで描いたこころの絵なんです」


 光、風、空間の広がり、音、香りといった現実の深みの中で受けとめた一瞬を一枚の紙に定着する写真の奥深さを思いつつ、一方でぼくはある種の限界をいつも感じてきた。もし何らかの要素が加わることによって、その限界を少しでも超えられるのなら、結果的に写真という枠を飛び出すことになってもいい。その意味で、ぼくは作品を「表現」と呼びたい。


 何かを創造し表現することは、こころの内面を誰かに伝えていくことだと思う。話す言葉が通じなくても共有できるこころの言葉、それがアートではないだろうか。そしてアートはハートに通じる。だからぼくにとって写真は「写心」であり、こころの手紙なのかもしれない。


 甲斐大泉駅のほど近くにある井富湖の畔にたたずむ1本のこぶしの木。開花の時期を迎えた四月のある朝、優しい光に包まれてこぶしの花が輝いていた。誰のためでもなくただそれ自身のために咲くこの花の清らかさ、生命の美しさに惹きつけられながら、叫び出したいような幸せをこの時ぼくは感じた。希望と喜びに満ちた特別な空気が、その空間を包み込んでいた。今この瞬間を生きていることの喜びは、最も純粋で最も大きな力を持つ。


 あの4月の朝、こぶし咲く空間を包み込んでいた空気は、一枚の作品として紙の中に封印された今も、それに向かい合う人にやさしく語りかけてくれる。

 幸いはあなたと共に。

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