北極圏アラスカに東西800キロにわたって横たわるブルックス山脈。その中ほどに、アナクトゥヴクパスという場所がある。急峻な山脈を東西に二分する広いU字谷にぽつんと存在するこの集落は、氷河の面影を色濃く残す緩やかな峠にあり、毎年春と秋の二度、北極海へと続くこの谷をカリブーの大群が渡ってゆくのだ。この地に住むエスキモーたちは、ここが「北極への門」という名の広大な国立公園に指定されるずっと以前から、カリブーを捕獲し続けてきた。
「ねえ、向こうの山すそに並んでいる白いテントは、何のためにあるの?」
この地で知り合ったハロルドという、ぼくと同年代のエスキモーの友人に聞いてみた。
「あれはサマーキャンプさ。渡りの季節が近づくと、あそこで男たちは交代でカリブーを見張るんだよ」
その日がいつなのかは誰も知らない。ある日何の前触れもなく一頭のカリブーが谷に姿を現し、その数分後には信じられないほどのカリブーの大群で谷全体が埋め尽くされる。やがて最後の一頭が走り去ると、谷はまた、何もなかったかのようにひっそりと静まり返るのだという。
昔から彼らは渡ってゆくカリブーを仕留め、それを永久凍土の氷の層の下に掘って作った天然の地下貯蔵庫に、一年分の食料として保存してきた。集落に発電施設が整備され、各戸に冷蔵庫が備えられるようになった今日、かつての地下貯蔵庫はその役目を終えた。しかし、彼らは今もカリブーを捕り続けている。
彼らにとってカリブーは単なる食材ではない。捕食の関係を越えた、もっと深く根源的な部分で同じ生命に結ばれている同士とでも言ったらいいのだろうか。
肉体から解き放たれた魂が再び戻ってくるよう祈りつつ、彼らは仕留めたカリブーの頭を切り落とし、そこに置く。それはカリブーたちの生命の記録であると同時に、その生命によって生かされている彼ら自身の生命の証でもある。死によっても断ち切られることのない生命の連続性への確信を、彼ら先住民族の生き様の中に感じる。そしてぼくはまさにそこに、深い共感を覚えるのだ。
あの日ハロルドの家でふるまわれたカリブーの干し肉スープの味を、ぼくは決して忘れない。