19.平和の虹

エッセイ『平和の虹』の画像

 虹がもし天と地を結ぶ平和のかけ橋であるなら、両者の距離はぼくたちが想像しているほど、遠くはないのかもしれない。雲間からすっとさし降りたこの虹を見て、そう思った。


 アラスカに滞在した二ヶ月ほどの時間の中で、一体いくつ虹を見ただろう。どんなに広い空であっても、雲の小さなすき間からでも、雨の中でさえも、虹は一瞬のうちに天と地をつないでしまう。大切なのは天地の距離ではなく、太陽の光がそこにあることなのだ。


 平和という言葉を聞く時にイメージするものは、国や人によって異なるだろう。ぼく自身にとって平和とは、国や社会に実現されたある特定の状態をさす以前に、むしろ一人一人の心のありかたに深く関わるものだと思っている。さまざまな正義や主義、宗教、権利が渦巻く人間社会。国の数だけ正義があり、人の数だけ主義がある。互いを理解しゆずり合うことの難しさを、ぼくたちはよく知っている。なぜそんなに争わなければならないのだろう。そもそも人は、何のために生きるのだろう。


 人の歴史はそのまま、争いの歴史と言えるかもしれない。地上に生じた人間が、もともと誰のものでもなかった土地を所有するようになり、争いも生じた。やがて天と地の概念も生まれてきた。しかし、人の生まれるはるか以前から、虹は天地を結び続けてきたにちがいない。虹は人の実生活に何も役立たないし、経済に貢献することもない。それでも虹は、虹であり続ける。


 自分に理解できない世界、所有できないもの、利益を生まないことの存在がいかに大切であるかということに、ぼくたちは気づくべきではないだろうか。


 かつて星野道夫さんがこう書いていた。「ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が確実にゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい」
 同じ時を共有する見えないすべての生命を想う一人一人の小さなこころが、虹のように一瞬に世界を結ぶのだと、ぼくは信じている。それが実現できた時、きっと平和という概念さえも必要なくなるのだろう。虹はそれを思い出させるために、虹であり続けるのかもしれない。
 

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