22.初雪の朝

エッセイ『初雪の朝』の画像

 八ケ岳がうっすらと初雪でおおわれた朝、急に思いたって蓼科方面にまで足を伸ばしてみた。ふもとはまだ秋のままなのに、高度が上がるにつれて植生や風景はどんどん変化してゆく。ある標高を境に、季節は秋からすっかり冬の装いへと変わっていた。あと戻りできない扉を開けて別の部屋に入り込んでしまったような気持ちになりながら車を降り、高見石ヘと続く人気のないトレイルを久しぶりに、そっと歩いてみる。


 一面にふりまかれた透明なビーズのように輝く雪の結晶に、朝の低い光がななめにさし込み、落ち葉の輪郭が空間の中に浮かび上がっていた。地面にかがみこまなければ見ることのできないこのアングルは、とりたてて人目をひくものではないかもしれない。でもぼくにはこの光景が、とても美しく感じられたのだ。こんなふうに被写体の後ろからちょっと逆光気味にさし込む光が、ぼくは好きだ。きっとこの淡い雪の結晶も、午後までにはすっかり消えてしまうことだろう。何度かこういう出来事をくり返しながら冬は着実に深まり、やがて大地は根雪におおわれてゆく。


 四季のうつろいが人の一生や時代の盛衰に例えられるとき、冬にはマイナスの意味が込められることが多いかもしれない。しかし、ぼくは冬という季節から、むしろ力強いプラスのメッセージを受け取るのだ。あらゆるものが凍りつき雪と氷に閉ざされる厳冬の森で、小鳥が元気いっぱい鳴きながら飛び回っている。雪の中、白い息を吐きながらたくましく生きる鹿の群に出会うことがある。すっかり葉を落とした木々の一本一本の枝先には、やがて来る春のために、小さな固い芽が備えられている。生きることへの強い意志が伝わってくるのだ。静寂の中に果てしない生命の底力が息づいているのが、冬という季節なのかもしれない。


 冬の寒さがあるからこそ、やがて来る春は、たくさんの希望と美しい光に満ちあふれるのだろう。春と冬の関係はちょうど、逆光の光が落ち葉を浮かび上がらせたこの光景の、光と影のあり方によく似ていると感じるのは、ぼくだけだろうか。

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