27.地球家族

エッセイ『地球家族』の画像

 春を目前にしたこの季節は、時に思いがけない雪が降ることがある。ちょうど三年前の今朝も、そんな雪の夜が明けた、美しい朝だった。


 昨日まで単調な灰色だった冬枯れの林は、朝の光に包まれて息を飲むような別世界に変わっていた。木々の枝につもった春の雪が、一面に咲いた白い花のようにやさしく輝いている。ぼくは水気を含んだ春の雪から、厳冬期の乾いた雪とは全くことなるメッセージを受ける。それは、封印をとかれて自由を取りもどした水の分子が、ゆるい雪の結晶の中を嬉々として巡っている、そんなよろこびのイメージ。


 春の雪は草木を潤し、大地をやさしく目覚めさせる生命の水となる。つかの間の雪景色は、やがて来る花の季節を予表する一瞬の幻のようだ。長坂町と小淵沢町の境に横たわる牧草地を抜ける道を通りがかった時、ちょうど薮から出てきた鹿の家族に出会った。繁殖期以外、雄は単独か雄のグループで活動するため、子鹿たちは母系の群れで育つ。5月から6月にかけて誕生し初めての冬を経験した子鹿たちは、春の雪に何を重ね見るのだろうか。


 八ケ岳周辺で鹿を見かける機会は少なくないが、彼らに近づくことは難しい。耳を大きく広げてまっすぐにこちらの動きを見つめる母鹿の表情と、そわそわした子鹿たちのしぐさから、群れの緊張感が伝わってくる。限られた焦点距離のレンズ。なるべく近づきたい。撮る側と撮られる側の微妙な駆け引き。ほんの数秒のことだったかもしれない。突然、はじけるように鹿たちは見事な弧を描いて薮の中に飛び込み、ぼくはまた、雪原の中にひとり残された。さわやかな風が、静寂の空間を早春の香りで満たしていた。


 ぼくは、この森のどこかでたくましく生きている彼らの息吹を、いつも感じている。目に見えないたくさんの生命が、今、この同じ時と空間を共有していることに、ぼくたちはもっと深く、心をとめてゆくべきではないだろうか。地球に生きているのは人間だけではない。人類が、見えない絆で結ばれているすべての地球家族の声なき声、沈黙の音にどこまで耳を傾けられるか、すべての生命が一つであることに、いつ本当に気づけるかが、これからの地球の運命を決めてゆくのだから。

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