16.風の道

エッセイ_『風の道』の写真

 このトウヒの樹林帯を抜ければ、森林限界を超える。めざす氷河湖は、正面の岩山の左の切り立った岩壁に囲まれて、その姿を見せてくれるはずだ。ほっと一息ついているぼくの頬をなぜるように、風が通りすぎていった。


 数日前、ぼくはブルックス山脈の懐にある小さな航空会社の掘っ立て小屋のような事務所で、大きな地図を広げてブッシュパイロットと話していた。ぼくの指先はそこから更に120kmほど山脈の奥に分け入った、ある地点をさしていた。アリゲッチ針峰群。ナイフの刃のような岩峰が屏風のようにそびえ立つこの場所の名は、「天に向けてさし出された指」という先住の人々の言葉に由来する。ここを訪れるにはフロートのついたセスナ機で、そこから20kmほど下流の小さな湖に降り、渓谷にそって道なき道を遡上することになる。この渓谷の一番奥にある岩峰に囲まれた氷河湖を撮影するのが、ぼくの目的だった。


 セスナの窓越しに空から見下ろす岩峰の連なりは、開いたサメの口を見ているようだ。もしも、その頂上のどれか一つにでも座れたとしたら、絶対にお尻に刺さるに違いない。


 突然パイロットが振り向いてぼくに合図を送り、旋回を始めた。眼下に目的の氷河湖が見える。ぼくを降ろす前に、彼はその上空を一周だけ飛んでくれたのだ。10日間のフィールド生活に必要な最小限の荷物は、撮影機材を含め全部で63kg。ぼくの体重より5kgも重い。そのすべてを一人で背負って歩く。


 「10日後の午後一時に、またこの場所で」 「了解、気をつけて行けよ」


 迎えの日時を確認すると、セスナは水しぶきをあげて再び空に飛び立っていった。爆音が次第に遠くなり、やがて最後の音も風に吹き消されてしまうと、どこまでも続く静寂の世界が広がっていた。


 アラスカを旅しながら、しだいにぼくは風を意識するようになっていった。風は思いのままに吹く。その道を知る者はない。風はどこか旅に似ていないだろうか。そして人生もまた、旅と言えるかもしれない。風の道に思いを馳せること、旅を通して人生の意味を探してゆくこと。実はどちらも同じ事柄の、異なる側面なのではないだろうか。風を頬に受けながら、ふと、そう思った。

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